「日光野口の豊かな自然を利用してリハビリテーションセンターを建設したい」という社団医療法人明倫会 先代理事長 熊谷忠夫が抱いた夢が日光野口病院建設計画の始まりでした。
先代理事長は夢の実現のため「日光野口の地に病院を建設する」という約束のもと、地元の方々にご協力をお願いして野口の土地をお譲りいただきました。しかし、心ならずも病に倒れその約束を果たすことなく他界しました。
それでも、先代理事長が日光野口の爽やかな空気に包まれ、きらきらと美しくきらめく木漏れ日の中で、息子達に語って聞かせたその夢は、彼らに引き継がれました。
当院の建設を決意したのは、先代理事長の次男で今市病院院長の熊谷真知夫と長男である明倫会常任理事の熊谷安夫です。彼等には先代理事長と当時の方々との約束を、自分たちの代で果たさなければならないとの強い使命感がありました。
急速に高齢化が進んでいる我が国の現況において、長期療養型の病院建設は時代の要請でもあり、しかも「豊かな自然の中で、患者様にきめ細かなリハビリテーションを行ってもらう施設」という当院のコンセプトは、先代理事長の夢そのものです。
また、「日光野口病院」という名称は明倫会内の職員の公募により決定しましたが、現理事長 熊谷さちの強い願いがありました。
日光野口病院は先代理事長の夢、現理事長の願いを実現するために、福島鼎病院長以下、看護師及び職員一同が一丸となって、患者様本位の医療を実践してまいります。